金魚ちゃんをインストール

憂鬱系青羊な RM307 の月一エッセイブログ Since 2011

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仕事をしながら考えていた事

「他の開発メンバーよりも遅くまで残って頑張らなきゃ」
「新人だから」「早く一人前にならないといけないから」
「社会人なんだから」「作業に時間がかかっているのだから」
「新人は会社にとって負債、教育するのにコストがかかるんだから
僕は自分を犠牲にしなきゃ」「それが当たり前だから」
アルバイトを始めた頃から既にこういう傾向があった。
では、僕もそういう事を他人に求めるようになるのだろうか?
いや、そうはならないな。自分が辛かった事を知っているから、
「無理せず気楽にやろうよ」「失敗しても大丈夫だよ」と言うだろう。
ああ、なるほど。これもよしよしだ。親が子に言うようにって。
僕も自分に対してそう言ってあげるべき、という理屈はわかる。
だけどすごい抵抗感がある。どうして自分を例外にしてしまうのか。
「僕は生きている価値も無い他人を傷つける最低な人間だから」
「みんな僕の醜さを知らないから。こんなにも醜いのに」
価値が無いから、ひどい扱いをされるのは当然。
醜いから、嫌われるのは当然。
思い込みじゃない。どう最低なのか、どう醜いのか、
それは今まで二十年以上僕と生きてきた僕が一番よく知っている。
・・・こんな事を毎日考えていたらそりゃキツいよなぁ。
でもキツくて当たり前、それも受け入れて生きていかなきゃ。
そうやってココロを抑えて、自分に理解させようとしていた。
これを他人の話だと思って読むと、間違った道を進んでるなーと思う。
自分と他人でこうも違うのか。実際どこが違うんだろう。
僕が自分だと思うモノ・・・
自分の体、自分の精神、他人から見えている自分。
何か違和感がある。うーん、最後は要らないのかな?
ここまでが僕(頭、両手、体、腰、足、それを意識する自我)、
これは僕じゃない(眼鏡、キーボード、おしりの下の椅子)。
なら他人から見えている自分って僕じゃないのか。
・・・よくわからなくなってきた・・・。

今日で11月最後か。早いな。終わり。