「他の開発メンバーよりも遅くまで残って頑張らなきゃ」
「新人だから」「早く一人前にならないといけないから」
「社会人なんだから」「作業に時間がかかっているのだから」
「新人は会社にとって負債、教育するのにコストがかかるんだから
僕は自分を犠牲にしなきゃ」「それが当たり前だから」
アルバイトを始めた頃から既にこういう傾向があった。
では、僕もそういう事を他人に求めるようになるのだろうか?
いや、そうはならないな。自分が辛かった事を知っているから、
「無理せず気楽にやろうよ」「失敗しても大丈夫だよ」と言うだろう。
ああ、なるほど。これもよしよしだ。親が子に言うようにって。
僕も自分に対してそう言ってあげるべき、という理屈はわかる。
だけどすごい抵抗感がある。どうして自分を例外にしてしまうのか。
「僕は生きている価値も無い他人を傷つける最低な人間だから」
「みんな僕の醜さを知らないから。こんなにも醜いのに」
価値が無いから、ひどい扱いをされるのは当然。
醜いから、嫌われるのは当然。
思い込みじゃない。どう最低なのか、どう醜いのか、
それは今まで二十年以上僕と生きてきた僕が一番よく知っている。
・・・こんな事を毎日考えていたらそりゃキツいよなぁ。
でもキツくて当たり前、それも受け入れて生きていかなきゃ。
そうやってココロを抑えて、自分に理解させようとしていた。
これを他人の話だと思って読むと、間違った道を進んでるなーと思う。
自分と他人でこうも違うのか。実際どこが違うんだろう。
僕が自分だと思うモノ・・・
自分の体、自分の精神、他人から見えている自分。
何か違和感がある。うーん、最後は要らないのかな?
ここまでが僕(頭、両手、体、腰、足、それを意識する自我)、
これは僕じゃない(眼鏡、キーボード、おしりの下の椅子)。
なら他人から見えている自分って僕じゃないのか。
・・・よくわからなくなってきた・・・。
今日で11月最後か。早いな。終わり。