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憂鬱系青羊な RM307 の月一エッセイブログ Since 2011

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イルカ日記

5月もそろそろ終わり、日中は暑い日も。いかがお過ごしでしょうか。
猫が甘えてひざに乗ってくるんですが、暑い・・・嬉しいですけどね。
先日ストーブをしまい扇風機を出しました。まだ早いかもだけど、
押入れのストーブをしまっていたスペースには扇風機があるので、
片づける事になったら必然的に扇風機が押し出されるかたちになる。
つまり僕の部屋は一年中ストーブか扇風機が出ている事になります。
こういうのってあまり良いとは言えないよな、とも思うのだけれど。
そろそろ憂鬱な梅雨。雨の日は靴やズボンの裾が濡れるから嫌だな。
電車が止まり、車が無いので通勤や買い物に時間がかかったりもする。
むしむしするし、洗濯物の乾きも遅いし・・・何も良い事が無いな!
そしてそれが終わっても暑い夏が!あーあ、早く秋にならないかなぁ。

前回の更新から報告できる作業は、今日読者ページにFAを1枚投稿、
投稿する事ができなくなったFAが1枚と、投稿予定の無いFAが1枚途中。
そして「好きな新都社キャラ紹介アンソロジー」に参加しました。
あと「イルカ日記」の朗読ねとらじが終了。これは新ブログに書いた。
絶対加速クレッシェンドM」の1話、2話の朗読ねとらじもしました。

 

さて、今回の記事は「イルカ日記」の朗読ねとらじの時に話した
感想を書きます。ねとらじを聴いた方は読まなくても大丈夫かも。
作品に少しでも興味を持って、読んでいただけたら嬉しいなぁ。

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2で好きなのは「私、知ってる。そういうのっていつまでも続かないの。
今は迷惑に思っていなくても、それはまだ私が目新しい存在だからで、
そのうちちょっとずつ嫌になってくるのよ」という部分です。
これ、僕も昔から、そして今でもよく思っている事だったので。
他人の、僕に対する好意(あるとすればの話なんですが)というのも、
関わるうちに徐々に薄れていき、やがて疎まれるようになるのだろう、
と思っていて。どんなに言葉を交わしても、今仲良くしていても、
いずれ嫌になるのだろう、という不安を抱えて人と関わっています。
現実ではあまり深く人と関わらないので、主にネット上でですが。
それを悲しく思うけど、未熟な僕が悪いのだよな、とも思っていて。
嫌われたくなかったら、それ相応に努力すれば良いという話ですよね。
そして2の最後の方、食べる事、拒食。これは、のぎく先生の
別名義の作品でもわりとよく取り上げられるテーマでもあります。

5では、海で、少女の指をちぎり、流し、お葬式をする主人公たち。
少し不安を感じるけど、どこか優しくもあって。美しいイメージです。

6で好きなのは、「話したいことがあれば話せばいい。忘れたとしても、
僕が代わりに覚えていればいいんだ」「でもあなたもいつか忘れてしまう」
「そうだね。でもみんなそうだ。いつかは忘れられてしまう。
僕が覚えていたってその記憶はほんの少し生き長らえるだけに過ぎない」
というやりとり。「でもあなたもいつか忘れてしまう」という言葉に、
「そうだね」と肯定できるのはすごいと思います。大人、というか。
僕だったら、「ずっと覚えているよ」と安請け合いしてしまうかも。
少なくとも、「覚えていられるように努力する」と言うかもしれません。
でもきっと、それは努力するとか、そういう事を強いてはいけない
種類の物事なのだろうな、とも思います。それでも僕は、あがきたい。
これは、作者さんの考え方が反映されたセリフなのかな、と思います。
のぎく先生とお話しした時に、似たシチュエーションがありました。
僕が、「いつか忘れると思いますよ」と言ったら「そうだね」と
言われた事があって。そうであっても、簡単に「そんな事は無いよ」
などと否定しないのはすごいな、と思ったのを覚えています。

記憶の断片は、とても好きな章です。共感するポイントが多くて。特に、
自分が汚い事を自覚していて、汚いからこそ綺麗なものになりたい、
と願う彼女。これは、2011年当時の僕の強い思いでもありました。
まぁ今でもそう思う事はありますが・・・。汚い、醜い自分は嫌だな。
この章はとても濃くて、一行一行がとても良いですね。たぶん、あえて
あまり推敲しなかったのでは、と思います。実際どうなのでしょうね。
決して悪い意味では無く、いろんな感情が詰め込まれている感じで。
少女であって少女では無い感じも。複数人の思いが感じられるような。
何度か読むとそれがわかってくると思います。それも含めて好きです。
産まれたくなかった、から消滅させたい、の流れとかも好きですね。
のぎく先生は、もう居ないのだろうな、と思うと、寂しく感じます。
ずいぶんと変わってしまった。もちろんそれは良い事なのだけど、
この時の先生の事、とても大好きだったから、やっぱり、寂しいかな。

7の恋人の母親の話、読み返して、やっぱり壮絶だなぁと思いました。
僕だったら耐えられないと思う。孤独に立ち向かった恋人はすごい。
だから、その後の人生が幸せなものであって欲しかったのですが・・・。
この過去は、村上春樹の「ノルウェイの森」に登場する小林緑の
お母さんの話に影響を受けているみたいです。以前そんな話を伺った。
恋人に「私が最終的に何を言いたいのかわかる?」と訊かれて、
「話の流れは理解していると思うけど」と正直に答える主人公。
彼女は笑いながら「あなたほどいい聞き手には会ったことないもの」
と言います。この会話がとても好きでした。僕も過去に何度か、
これに似たやりとりをした事がありました。まぁ、僕の場合は
ただ聞く事しかできなかっただけだとは思うのですが・・・。
あと、「私はすごくすごくヘヴィな荷物だってこと」という部分。
何か病気を抱えている訳では無いけれど、僕も自分自身の事を
そう思う事が多かったです。今もか。僕と深く関わるという事は、
なかなか難しいみたいですからね。それと筏の比喩も好きです。
こういう会話、良いですよね。温かい幸せを感じます。憧れ。

8も結構好きです。「泣いているのね?」という優しいセリフとか、
夕暮れにふたりで歩いているシーンとか。この夕暮れのシーンは、
初めて読んだ時、すごく既視感のある空気感でした。たぶん、
僕はこの空気を知っていたと思う。覚えがあるものでした。
文芸の「涙雨」という小説に登場するある朝の空気感のように。
六年前当時、それを思い出して、すごくせつなくなりました。
あと、「あなたの事が大好き、でもそれはたとえあなたが私のことを
どう思っていたとしても、全然関係ないところにあるものごとなの」
という考え方は、僕もわかるような気がします。たぶん、僕も同じ。

二回目の記憶の断片。髪を切るシーンや、男を背後に感じながら
歩くシーン、バットで殴られるシーンなど、力を感じる描写です。
こういうところが作者さんのすごいところで、好きなところです。
生きる為に、生きたかったから殺した、というセリフ。これはたぶん
作者さん自身がそうで、生きる為に、自分のある部分を殺して、
前に進もうとしたのだと思っています。違っていたらすみません。
ちなみにこの作者さんも、少女のように長い髪を切っています。
もちろん自分でではありませんが。でも実感がこもっている。

9、「君に死んで欲しくなかったからだ」と思わず熱くなる主人公も
良いですね。優しいな。他人の為に、それも得体の知れない少女を
殺した相手に対して怒りを抱く事ができる。昔の恋人の夢をみて、
何もできない自分に対してもどかしい思いが多かった事もあるのかな。

10、「この世が美しいから生きるんじゃない。生きることでこの世が
美しくなっていく。誰かを求めることでそれがわかる。愚かにも
繋がろうとすることで、その儚さに破れながら、美しさを知る」
この部分が特に好きですね。僕も、美しさを知りたいな・・・。
そして最後の「一番綺麗なものを教えてくれてありがとう」。
儚く、せつなく、とても美しい、素晴らしいセリフだと思います。

 

この作品を読み返すのは、2014年にFAを描いた時以来、三年ぶりでした。
内容はだいたい覚えていたので、そこまでココロを動かされないだろう
と思っていたのですが、朗読の為に読み返したら、やっぱり良いな、
好きだな、と思いました。作品全体が好きですが、1〜3であったり、
記憶の断片だったり、7、8、9と単体だったり、それぞれ違う種類の
好きがあるな、と今回気づきました。上手く言えないのですが、
たとえるなら、好きなひとが見せるいろいろな表情が近いのかな・・・。

そんな良い作品「イルカ日記」、未読の方はぜひお読みください。
改めて、朗読をお聴きくださった方々、そして作者ののぎく先生、
朗読をさせていただきありがとうございました。楽しかったです。

「イルカ日記」のFA
2014年に投稿した「イルカ日記」のFA

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