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憂鬱系青羊な RM307 の月一エッセイブログ Since 2011

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京都アニメーションへの放火事件で感じた事

8月ももう終わり。今年は7月がしばらく涼しかった事もあり、過ごしやすかった
印象だった。まぁ十年ぶりに自室にエアコンを設置したというのも大きいけど。
まだ残暑がありますが、みなさまもお身体にお気をつけてお過ごしください!
そのように身体的には楽だったけど、精神的にはぐちゃぐちゃな日々だった。
今でも解決しておらず苦しんでいる。どうすれば解決するのか見当がつかない。
とにかく今は創作に打ち込む事で現実逃避している。夜は毎晩眠れないけど。

更新された主な好きな作品は「アンティーク」、「ボクハココニイル」など。
そして「人生向上委員会」のキャラへのインタビュー特別編が投稿されて、
待望の第2部「人生向上委員会 りすたーと!!」が始まりました。楽しみですね。
そして「ブロンドロイド」が完結、おまけ漫画も投稿されました。面白かった!

活動は、「しりとり」にユイ姉の一枚絵を描いて参加、水着FA祭り2019
燃えないゴミ」のFAを描いて投稿、不死鳥先生のお誕生日にFAを描いて投稿。
あとはずっと「百合少女交響曲」6話後編を描いていました。現在9ページ分
sage更新しております。もし良ければお読みいただけるととても嬉しいです。
http://rm307.html.xdomain.jp/sister/

「百合少女交響曲♪」6話後編の1コマ


1月からは毎週欠かさず本や漫画を1冊読んで、その感想文も書いています。
先週は「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」でした。このエッセイの中で、
村上さんがランニングをしていた時によく顔を合わせていた、エスビー食品
陸上選手の話が書かれていた。朝同じ時間に会う事が増え、そのうち軽く会釈を
するようになり、村上さんが走る事についての本を書こうと思った時には
チームを取材し、選手たちといっしょに走らせてもらった事もあったらしい。
そして瀬古監督の谷口という選手への個人指導はかなりハードだったという。

たしか1000メートル全力で走って、200メートルジョギング、息を整えてまた全力で1000というリペティションが延々と繰り返された。タイムが落ちると、監督の罵声が飛んだ。唾だかよだれだかを流したり吐いたりしながら、誰もいないがらんとしたトラックを、谷口は黙々と走っていた。

その後、この谷口選手を含めた五人の選手が交通事故で亡くなる事になる。

僕は谷口のそのときの姿をまず思い出した。そして「あれだけの彼の苦労はいったいどこに行ってしまったんだろう?」と思った。そう思うと涙が流れた。

この部分を読んで、先日起こった京都アニメーションへの放火事件を思い出した。

7月18日、Twitterのトレンドで初めて放火を知った時は、まだ事件の全貌が
わかっていなかった。死者についても書かれていなかったので、ぼや程度かな、
これでまたアニメファンが悪く言われそうで嫌だな、などと軽く考えていた。
しかしその後次々と続報が。死者が出たと初めて報道された時は愕然とした。
取り返しがつかない事が起こってしまったのだ、と思ってココロが冷えた。
でもそれで終わらない。死者は増え続けた。その時誰もが思ったであろう
「もう止まってくれ」という願いも虚しく、最終的に35名の尊い命が失われた。

京都アニメーションの作品は、作画クオリティがとても高い事で有名だった。
それだけの技術を身につけるまでには、きっと相当な努力があっただろう。
毎日練習をして、たくさんの素晴らしい作品に触れて、また練習をして。
上手く描けない事に悩み、成功した事を喜び。数々のトライアンドエラー
それらが一瞬にして蹂躙された事がとても悲しかった。そして悔しかった。
村上さんと同じく、彼らの努力はどこへ行ってしまったのだろう?と思った。

炎にその身を焼かれる事、呼吸ができなくなる事。数分まで仲間だった人々が
屋上の出口を求めて互いを押し合い、折り重なるようにして亡くなっていた事。
何を考えてもつらい。しかもそれはただアニメを作っていただけの人々だ。
何も悪い事をしていない。むしろ人々に夢や希望を与えていた人々なのだ。
今までたくさんの素晴らしい作品を生み出してきた何ものにも代えがたい人々。
もちろん誰であって失われるべきでは無いのだけど、犠牲者の中にはすでに
有名だった監督やスタッフも、きっとこれから名を馳せただろうスタッフも
大勢居たのだ。そんな人々がなぜ命を落とさないといけなかったのだろう?
それも殺人というかたちで、とても苦しい思いをして。運命を呪いたくなる。
過去も現在も未来も奪う。人が死ぬというのは本当に重い事なのだな・・・。

犯人をどう思うかと問われると、当然憎い、許せないという言葉が出てくる。
ただ正直、強い憎しみの感情を持つ事ができない。事件発生後から現在まで、
僕の中にあるのはただただ激しい困惑だった。これは人間の仕業なのだろうか?
犯人は刃物を多数所持していて、社屋にガソリンを撒いて火をつけた上で、
入り口に逃げてきた人々を殺そうと用意周到に計画していたらしかった。
人間が、そこまでの強い悪意で大勢の他人の命を奪えるものなのだろうか?
あまりにも僕の想像を超えていて、天災にも等しい無力感を覚えてしまった。
犯人が住んでいた関東から京都へ行くには切符を買わなくてはいけない。
ガソリンを買う為には容器を用意しなくてはならない。取り出してみると
一つ一つは日常の、誰もが行っている当たり前の行動。しかしそれを犯人が
暗く歪んだ瞳で淡々と計画していた事を考えると、何かとても恐ろしくなる。
どのような憎しみに囚われていたら、冷静にそんな準備ができてしまうのか?
繰り返すけど、本当にどうしてそんな事ができてしまうのかわからない。

それよりも、さぞ当たり前のように、自分たちはまともだという顔をしながら、
薄ら笑いを浮かべて献花台や映画館に群がっては人々の悲しみを踏みにじり、
遺族の方々の気持ちを無視して過熱報道をするようなマスコミに憤りを感じる。
中には、犠牲になった身内の事をいつまでも覚えていて欲しいという遺族の声
(もちろんそれ自体には問題が無い)をことさら主張し、自分たちの行いの
正当性を訴えるメディアもあった。虚しい。もはや僕が言う事は何も無い。
まぁそもそも僕がわざわざ書かなくても他の人たちが詳しく書いているしね。
でも僕だってそんな想像力の無い人間の一人で、他人を責める権利は無いのかも。
きっと、僕自身にも盛大なブーメランが突き刺さっているに違いない・・・。
それでも、報道機関がそんな凶刃を振るって良いのだろうか、と考えてしまう。
本人たちがいくら否定しようと、正義の顔をしていようと、それは刃だよね。

そしてもう一つつらかった事。先ほどのエッセイの中からまた一部引用する。

僕はもちろん彼らとは比べ物にならないアマチュアの、そのまた梅クラスのランナーである。でも厚かましいかもしれないけど、彼らの感じているであろう苦しみや喜びは、ある程度僕にも実感できる。レースのキャリアにおいても人生においても、志なかばでこの世界を去って行かなくてはならなかったことは、無念以外のなにものでもなかっただろう。

京都アニメーションのスタッフの方々と僕みたいな底辺絵描きをいっしょにする
なんて失礼だとは思うけど、僕は自分の身内が殺されたように感じてしまった。
自分の一部が損なわれた感覚さえした。本当に勝手で失礼な話なんだけどね。
創作者の端くれだけど、たぶんどこかで同じものを共有していたんだと思う。
すべての創作に携わっている人々は、そんな事を感じたのでは無いだろうか。
僕の勘違いだったらごめんなさい。でも言いたい事は理解してもらえると思う。

僕のTwitterアカウントを数年前からフォローしてくださっている方々は
もしかしたら覚えているかもしれないけど、僕は京都アニメーションの作品に
良い印象を持っていなかった。「作画クオリティは高いけど内容は・・・」
というツイートを以前何度かしている。それでも京アニ作品を十作品以上
観ていたし、一人のアニメファンとして、その芸術を楽しみにしてもいた。
同じく村上さんの「ダンス・ダンス・ダンス」という小説で、母親の恋人が死に、
娘のユキが彼に対してひどい事をしたと言った時、主人公が叱るシーンがある。

後悔するぐらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうとする努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君に後悔する資格は無い。

だから僕も、もっと京アニ作品を褒めておくべきだったと言ったりはしない。
今はただ、被害者の方々の身体的、精神的な傷が早く治るよう毎日祈っている。
そしてこの事件の事、大勢の人々が亡くなった事をこの先もずっと忘れない。
僕にできるのはきっと些細な事で、大して何も変わらないかもしれないけど、
それでも未来へつなげていけるのであれば、小さな言の葉を積み重ねていきたい。
終わり。

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