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憂鬱系青羊のエッセイ的なブログ

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らくがん工場で短期アルバイトをした時の思い出

先日の台風10号、12号は大丈夫でしたでしょうか?ご無事をお祈りしております。
先月「もっとエアコンに頼ろうと思う」と書きましたが、結局9月に入ってからは
エアコンを使わなかった。やっぱりもったいないなと思ってしまって・・・w
でもすぐに不要なくらい気温が下がり、今では朝晩肌寒いくらいなので良かった。
今は毛布をかけた布団に寝ている。やっぱり寝る時に暖かいのは心地良いですね。
去年は10月までは暑く、今年もそれを覚悟していたんだけど、拍子抜けだったな。
しかし今年は寒さが厳しくなるらしいというツイートも見かけた。うーん・・・
暑いのも嫌いだけど、寒いのも堪えるのだよな・・・お手柔らかにお願いします。
そしてやっぱり新型コロナウイルスも心配。この冬も猛威を振るうのだろうか。
こちらもみなさまのご無事とご健康をお祈りしております。どうかお気をつけて。

2016年12月にこんなツイートをしたけど、まだ同じような場所にでき物が2個。
大きい方は月曜日に破裂し毎日膿が出てきて困った。触れたり水がかかったり、
寝る時も仰向けだと痛む。連休中なので病院も閉まっていて水・木曜日も休診、
金曜日になってようやく受診できた。院内は患者さんが多く、感染対策の為に
1時間以上外で待つ事になって閉口したけど、とても優しい看護師さんが居て、
現実で人に優しくされる機会が少ない僕は癒やされ、疲れも痛みも吹き飛んだ。
けれど小さい方のでき物も、大きくなったらまた痛みそうだ。嫌だなぁ・・・。
でも、またあの看護師さんに会えるならそれも良いかと思う元気な僕であったw
なのでご心配にはまったく及びませんのでご安心くださいw早く治ると良いなぁ。


この一ヶ月で更新された好きな作品は「イコノクラスム」、「だいずしろっぷ」。
だいずしろっぷ」は「新都社ミスコンテスト2020」の水着絵も良かったです。
あと「聖・マリア女学院」の軽井沢先生の新連載「俺を成仏させてくれ!」が
スタート、異業種先生の「誠にご愁傷様です」が完結。どれも面白かったです。

投稿したものは「新都社ミスコンテスト2020」にユイ姉先輩、読者ページに
イコノクラスム」のFA、それときぼんの集合絵表紙。良ければごらんください。
その他には28日に投稿するFA、眼鏡FA、FA祭り会場のトップ絵を描いていた。
ミスコンと表紙作業で合計一週間ほど予定をオーバーし、急遽28日に投稿する
FAも描いた為、予定がかなり厳しくなっている。10月4日までにあと絵を2枚
描けるだろうか・・・。来月分の読書は済ませてあるので、何とか頑張りたい。
眼鏡FA祭り、10月1日から開催しますのでご参加いただけるととても嬉しいです!

新都社ミスコンテスト2020の司会、先輩の一コマ

ミスコン2020に投稿した漫画の一コマ


さて今月は時間が無いので、以前絵板に書いた話を加筆修正してお送りします。
2013年の7月につばき先生に「今度短期のお仕事の話聞かせてね!」と言われて、
まぁ別に本当に聞きたかった訳では無くただの社交辞令だとは思ったけど、
結局お話しする機会が無かったので、これで目的は果たしたという事になる。


2013年、新卒で入った会社を辞めた後、とある資格を取りに行くまでの間に
パン工場で短期アルバイトをした事がある。9~17時の8時間、時給は最低賃金
電車で15分、駅から30分歩いた場所にあったので、通勤がめんどくさかったな。
(行き帰りに毎日ドビュッシーのクラシック曲を聴いていた事を覚えている)
しかし他にちょうど良い短期バイトが無かったし、まぁ一ヶ月だし我慢しよう、
と思って頑張って歩いていた。今ならそれだけで体力が無くなりそうだなw
ちなみに交通費は支給されなかったので、電車の定期代約6500円は自腹でした。

パン工場ではお盆用のらくがんを作っていた。スタッフの半分はらくがんの製造、
もう半分は完成したらくがんを容器に詰めたりラッピングしたりする担当だった。
僕は最初にらくがんを詰める工程に回された。特に説明も無くすぐに作業開始。

一口にらくがんと言ってもいろんな色やかたちがあり、僕はそこで初めて触れた。
ベルトコンベアでトレイを流して、そこにできたばかりの大量のらくがんを
決まった位置に置いていく。トレイの間隔が短いので、テンポ良く置かないと
すぐに次のトレイがやってくるし、置けないと次の人に迷惑をかけてしまう。
考え事をする余裕も無く、とにかく機械のように常に手を動かし置いていった。
一つの商品が終わるとまた違う商品を詰める。大きいらくがんは楽だったけど、
小さいらくがんが細々と詰められているタイプの商品は大変だったなぁ・・・。
慣れないうちは自分が置かないうちにトレイが流れていってしまう事があり、
ベルトコンベアを止めて全体の作業がストップしてしまうのが申し訳無かった。
止めた事でぶつぶつ文句を言われるのが、自己否定中だった僕には特に堪えた。

単純作業ではあるけどキツく、頭脳労働の方がよっぽど良いな・・・と思った。
よく楽な仕事の例えとして「刺身の上にたんぽぽを置く」なんて言われるけど、
それがこんなスピードで長時間続くものだとは想像もしていなかったな・・・。
集中を要するわりには時間が遅々として進まなかったので、毎日しんどかった。
定時は17時だったけど18時頃まで残業する事も多く、この1時間がつらかった!
一日の最後にごみを捨てに外へ出た時は、文字通りすごく解放感があったなぁ。

らくがん部門で働いていたスタッフは3人が20代で、ほとんどは40代以上だった。
20代は全員男性、僕のような短期バイトにも親切で、丁寧に接してくださった。
30~40代は全員女性、主婦が多かったかも。この方々も優しく教えてくださった。
しかし5~60代のスタッフが相当に厄介だった。とにかく嫌味や文句が多い。
下手な人が居るから自分が直さないといけないと常にぶつぶつ言っている女性、
この調子じゃ残業だよ帰れないよ!と数十分置きに大声でどなりつける男性、
その他にも露骨にため息をついたりなど。もちろん僕のミスが悪いんだけど、
僕が作業に慣れてミスをしなくなった後は、他の人に矛先が向いたりした。
それ以外にもいろいろ嫌な思いをしたけど、七年前なのでさすがに忘れたな。

もう一つつらかったのが、食堂のトイレ横にある仮眠室で何人もの大人たちが
窮屈そうに寝ていた姿。こんなにつらい生活を毎日送っている人がたくさん
居るのか・・・と、ここに居たくないという鬱々とした気分に拍車をかけた。

次の週から僕はらくがんを作る工程に回され、今度は常に中腰で金網に材料を
力いっぱい押し続けて細かくし、それを形成工程に回すのを8時間続けるという、
全力かつ休む暇も無く次々と材料がやってくるかなり過酷な工程だった為、
本当に歩けなくなるくらい腰痛が悪化した事で結局二週間で退職したのだけど、
もうあの場所に行かなくても良いんだと思うとココロからほっとしたな・・・。
今でもその企業のパンを見かけると、あの狭く薄暗い工場を思い出してしまう。

そしてこうも思っていた。「今でもあの人々はあの限られた空間で、毎日文句を
言い続けているのだろうか」と。そう考えるととても不思議な気持ちがした。
僕が含まれなくなっただけで、もちろん今までと変わらず存在し続けただろう。
上手く言えないけど、それがとても不思議だったのだ。夢だったように感じる。
ここが一番伝えたいポイントだったのだけど、まだ言葉にするのが難しいようだ。

きっとありふれた話なのだろう。でも、その後あらゆる「製品」への見方が
変わってしまった。当たり前だけど、すべての物には作っている人が居る。
もしかしたら、文句を言ったり言われたりしながら作っているのかもしれない。
そう思うと、それはただの物では無く何らかの感情の残滓のような気がしてきて、
「物だって決して無機質な存在では無いのだ」なんて思っちゃったりなんかして。
まぁ気にしすぎると気が休まらなくなっちゃうので、ほどほどにします。終わり。

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